逃げる途中〜さようなら毒なる親〜

私が親を毒と認めてから、逃げる途中のお話

①毒親認定(学生編)

初めまして。菊です。

毒親から絶賛逃走中、逃げたてです。

 

ここまでに至る経緯や逃げ方などを、参考になった資料、ブログ、知恵袋リンクを交えて書き綴っていきます。同じく毒親に苦しんでいる方の、灯火なれば幸いです。

 

さて、私の場合、両親が毒親と気付くまでにとても時間がかかりました。

 

というのも特に母方の祖母や叔母たちもなかなかの毒で、自分の母親がまともに見えてしまったからなんですよね。うちの場合、身体的・精神的な暴力はありませんでしたが、母親から仕事の愚痴や親戚の悪口などを延々と聞かされ、お前はこうなってはいけないという刷り込みが結構ありました。これがのちのち効いてきます。

 

さて、高校を卒業し、私は大学に通うことになりました。初めての一人暮らし。とはいえ私の実家は低所得だったので仕送りはなく、学費と生活費は奨学金と行政からお金を借りて賄うことになりました。そんな状況でも楽しく大学に通って勉強していましたが、親からこんなメールが届くようになりました。

 

「お金貨してほしいんだけどいいかい」

 

これが全ての始まりです。貸してほしい理由はたくさんありすぎなのでここには書きませんが、メールの最後にはいつも「迷惑はかけないから」と書いてありました。

 

しかしながら、まだ親を「親」と信頼していた私はバンバン貸した訳です。そしてそれは学年が上になるほど金額も増えていきました。バイトを始めて、収入を得始めたことも要因になったと思います。

 

在学中、月4万円の家賃を親が払っていたのですが、4年生あたりになると親が払えなくなり、ほぼ私が払っていました。でも月6万円の生活費+バイト代3万円で暮らしていた私にはあまりにもきつい。なので安い家に引っ越したいと相談したのですが許しは得られませんでした。なんでかは分かりません。訳のわからないことをガーガー言われた気がします。

 

それに加えてとにかく「高収入で安定した企業に勤めてほしい」という刷り込みも、どんどん激しくなりました。私はそんな見えない矢傷にも気付かず、あらゆる大手企業にアタックしましたが受からず。あの時もっと自分らしさを持っていたら、それを発揮していたら、きっと就職もうまくいったはずなんですが。

 

さて、社会人編に続きます。