逃げる途中〜さようなら毒なる親〜

私が親を毒と認めてから、逃げる途中のお話

⑥分籍編

⑤の面談中に「分籍はされていますか?」と聞かれました。

どうやら分籍した後に住民票の閲覧制限をかけると最強に住所特定不可能になるらしいです。(100パーセントではない、90パーセントくらい)

 

このとき分籍はしていませんでしたが、昨年から分籍したいと考えていて、いつでもできるように戸籍全部事項証明書を取り寄せていました。

 

住民票の閲覧制限の手続き中に「分籍したい」旨を伝えると、「戸籍の専門家」らしきおじさんが出てきて色々相談に乗ってくれました。

 

結果をいうと、現住所の区役所で分籍手続きをするのはオススメできない とのこと。

分籍すると、手続きした役所がどこなのか旧戸籍に載ってしまうからなのです。住所は分からなくても、この街に住んでいることがバレてしまいます。なので、できれば縁のない場所で分籍手続きをすればOK!

 

新しい本籍は、日本国内であれば、どこの場所でも本籍地とすることができます。新しく本籍を置くところの区の「区役所戸籍課戸籍担当」に分籍届を提出(総務省HPより)

 

閲覧制限で旧戸籍の附票は見られなくなっていますので、分籍をして新しい戸籍になった場合、再度閲覧制限の変更手続きが必要になります。これは戸籍に限らず、住所が変わった場合でも必ず区役所で変更手続きをしないといけません。

 

さて、分籍には戸籍謄本か戸籍全部事項証明書が1部あれば大丈夫です。ただ、この書類をちゃんと読んでしまうと「分籍する!」という強い意思が削がれるのでオススメしません笑 誕生日や出生届日、届出人の名前が書いてあり、「ほだされて」しまうからです!!! そんなバカな、と思うかもしれませんが本当にそうです。戸籍謄本はただの紙だと思って接しましょう!

 

明日、分籍してきます!

 

 

[追記:分籍してきました]

現住所でも勤務先でも同県内でもない役所(以降・新本籍役所と記載)で手続きしてきました。

支援措置通知書を持っていなかったんですが口頭で説明でも大丈夫でした。

分籍届の紙は、他の届出用紙のところになかったのですが、私の場合は閲覧制限かけるときに現住所役所の人からあらかじめもらっていたのでそれでOKでした。めっちゃコピー!って感じの紙だったけどw  持ってない人は申し出ればくれると思います。

 

それから身分証を提示したのですが、コピーをとる上でマイナンバーよりも、免許証や保険証の方がいいとのことでした。 1部あればいいそうです。

 

何度も言いますが「新しい本籍=現住所」は絶対NG!!!

本籍地以外に「現住所を書く欄」がありますが、ここは後の手続きでフィルターかかりますので現住所でOK。新本籍役所の人が現住所役所の担当者に電話確認をするためです。

 

現住所役所の人も「本籍地を現住所にしてませんよね?」と心配してくれていた模様。本当に親身。

 

届を出して10分後には、もう手続き完了となりました。祝・戸籍筆頭者。

 

 

 

 

 

⑤住民票編

ごぶさたです。菊です!

あ、郵便編を追記したので見てください!

 

さて毒親チルドレンが一度は通る関門「住民票の閲覧制限」篇です。

 

参考としたのはコチラ

mirainotameni.hatenablog.com

 

とても助かりました!

 

さて、私の場合を順を追って。まず1の前に私は住民票を新住所に移していました。できれば移してすぐに手続きをした方がいいです!

 

1.相談先の設定

警察署で調書取るのは何となくコワかったので笑

まず女性センターに電話をかけてみると「ここではなく区役所の地域支援課で相談ができます」ということで電話まで繋いでもらいました(とても親切でした!)

地域支援課と電話でやりとりし、

「(私)調書を取る上では直接面談の方がいいですよね」

「(支援課)そうですね、お手数なんですが、、、」

ということで面談の日時を決めて後日区役所へ。

 

2.区役所にて相談

区役所には身分証明書・印鑑・通帳の写し(被害総額がわかるもの)・メールのスクショを用意していきました。

書類を2枚ほど書いたあとで面談。経済的DVを受けていたこと、具体的な被害額、精神的なDVもあったことなどを話して、30分くらいで調書は取り終わりました。

 

3.住民票の閲覧制限

その後、調書を持って住民課に行き、閲覧制限の手続きをします。思ったよりスムーズ!

前住所の住民票(除票を含む)の写し

現住所の住民票(除票を含む)の写し

旧戸籍の附票(除票を含む)の写し

新戸籍の附票(除票を含む)の写し

以上の閲覧が不可能になります。私自身も特定の身分証を持っていかないと住民票を取ることができません。

 

また支援期間は申請日から1年間で、1年後に延長の手続きをすることになります!

 

本当にできると思ってなかった!

⑥に続きます!

 

【追記】

⑥で分籍をし、戸籍筆頭者となりました。本籍が変わったわけです。

というわけで再び現住所の役所へ行き、閲覧制限の申請書をもう一度書きます。

親が万が一私の新本籍地に行っても戸籍を閲覧できなくなるということですな。

この手続きには新しい戸籍謄本は必要ありません。上記3番で特定した身分証を持っていけばOKです。

 

 

 

④郵便編

転居の際、誰もが郵便物の転送手続きをするかと思われます。私もしました。

ですがこれは場合によってはNGになります。

 

mirainotameni.hatenablog.com

 

このマニュアルを読んで戦慄したのですが、なんと書留には追跡機能があるというではありませんか!!!ネットに疎い親とはいえ、何をするかわかりません。

 

それに、以前から心に引っかかっていたのですが、私は奨学金を返す義務があります。払込票が毎月届くので、転送届を出した向こう1年は良いとして、それ以降、「届く住所」を教えなくてはなりません。しかし官公庁とはいえ、地元が地元なだけに秘密を守れるか心配です。

 

うおー、人の住んでなさそうなボロアパートの住所でも教えといて私が取りに行けばいいのか!?

とグーグルの海を渡っていたら、見つかりました。

 

www.postcast.co.jp

 

私書箱サービスです。もちろん郵便局にも無料で使える私書箱はありますが、毎日取りに行かなくてはなりません。

 

↑は実際に私が契約したサービスです。「転送オンリー」を使います。

(使い始めたばかりなので、このレビューは後ほど書きます)。

 

さて、問題の「出してしまった転送届」ですが、以下の方法で一旦リセットできるらしいです。

www.post.japanpost.jp

 

実証してはいないのですが、この方法で一旦リセットしたあと、もう一度転送届(新住所に私書箱の住所を記入)を提出したらいけるのでは?と思っています。後日実証します!

 

【追記】

先日、郵便局員の方が家に来ました。

(郵)「転送届、3回出されてますけど、、」

まあ混乱するのも無理はないですな。とりあえず今の住所を追跡かけられると厄介だということや、私書箱を開設したことをお話しました。すると、、、

(郵)「とりあえず、転送届全て取り消しというのはどうでしょう?」

と言われてハッとしました。せっかく私書箱作ったんだから、そっちに送ってもらうよう送り主(親以外)に直接言えばいいのでは!もし私書箱の住所が親にバレても私は住んでませんし、バラした側もなんなら訴えれますよね。というわけで転送届はストップしてもらいました。

 

わかりづらいので図解すると

 

旧住所に送る→届かない

私書箱住所に送る→追跡は私書箱止まり、そこから現住所に届く

現住所に送る→届く

 

という風になりました。

③転居編

さて、以下のケースに当てはまる方は、私が参考にした方法が効くかもしれません。

①ネット、SNSに疎い(PCがない、ガラケー、ネットに興味ない)

②言い方はあれですが貧乏(渡航費や電車代なども出せない)

 

さて、私はひとえに親から逃げるために、そして何より上京という夢を叶えるために転職活動をし、奇跡的に都内の企業に受かりました。

 

とはいえ私の中にまだ生き残っている良心とやらが、「親には伝えた方がいいのでは」と唆しました。そして、葛藤の末、「東京の企業に転職します」とだけメールしました。

(しかしこれはオススメしません、企業名や転居先などを根掘り葉堀り聞かれる可能性があります)

 

私の場合、案の定電話が来て、やれ東京暮らしは心配だの引っ越し費用は出せないぞだのオリンピック終わったら不景気になるからだの言われましたが、全部聞き流して適当になだめすかしました。これが10月ごろだったかと思います。

 

ここから1ヶ月おきくらいに「新しい家は決まりましたか」というメールが来ましたが、理由をつけて「決まってない」と答えました。実際そんなに早く決まるわきゃない。

 

で、まあ2月に家を決めたのですが、【保証人不要】これは鉄板です。

親を保証人にしたところでどうせ彼らは家賃なんか払えないし、ひた隠しにしていた住所や職場もバラしてしまうことになりますからね! もちろんご結婚されている方は、配偶者を保証人にすればお金もかかりませんが、まだ私は独り身なので…。

 

3月になり、いよいよ引っ越すぞ!という時についに「どこに住むんですか?」とメールが!

どうしても住所を教えたくない私はコチラを参考に対処しました。

 

oshiete.goo.ne.jp

 

こちらは私とは無関係のスレです。が、大変参考になりました。

 

この「社宅が借りられるみたいで、それまで仮住まいだから、決まったら住所おしえるね」をそっくりそのまま使いました。こんなの納得せんだろと諦めていましたが、予想に反して親からは「じゃあ、決まったら教えてね」。ま、教えないんですけどね!

 

そして「他の人に住所を教えない」これも重要です。たとえ友人であっても、です。

 

そして明確な住所と転居日を教えないまま、無事に引っ越しました。よくあるドラマみたいに親が子供の引っ越しを手伝うなんてことがなくてよかった。私の住んでいたS市と、親の住むA市が離れていたことが幸いしたようです。

 

④に続きます。

 

 

 

②毒親認定(社会人編)

さて社会人編ですが、こちらのリンクをご一読ください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

これ、私です。この時アンサーをくれたお二方にはとても感謝しています。

こののち、自分が正社員ではなく、契約社員だと明かしました。

電話越しの母親はこちらの予想とは裏腹に、特に声色も変えず「あーそうなんだー」という感じでした。でもその後に「正社員登用とかないの?」と聞かれたので、やっぱりちゃんと正社員になってお金を実家に貢いで欲しかったんだと思います。私は正社員登用制度がないことと、今の会社で働き続ける気がないことを話しました。

 

そこからお金の催促はなくなりました。

が、もう一つ問題が起きました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

しかし、結果的には承諾してしまいました。

弟が成人するまでの1年間だけ保証人になってくれと言われ、まあ1年間だけならと思いOKを出しました。しかしその後、保険屋さんとのやりとりで、保証人を途中で変更することはできないと言われたので、取り消しをお願いしました。それからの親のメール電話攻撃が凄まじく。

 

「承諾撤回したのは何故ですか!1年の保証人はできて7年はできませんか!そんなに親のために犠牲になるのはできませんか!」

 

おえー、書いてて辛い泣

 

これに恐れをなした私は再び保険屋さんに電話をして、保証人になりました。

保証人になった瞬間に、ころっと態度を変えた「ありがとうメール」が届きました。

私の中で、何かが砕けた瞬間でした(遅い)

 

 

 親からは「借りたお金は月々返していくから」と言われました。

でも返してくれたのは総額2万円のみ。

 

 

そこからは私から親に連絡をすることはありませんでした。

大抵親からメールがきて5通に1通返事するくらいになりました。

やがて声が聞きたいと言われ渋々電話しました。他愛もない親戚の愚痴、生活の知恵だのなんだのの後に、

 

「そういえば今月ちょっと厳しくて〜お父さんも仕事やめちゃったし」

 

またか。娘には「転職なんてもってのほか」みたいなこと刷りこんでおきながら。

 

「来月には借りてたやつ払えると思うから〜迷惑はかけないから〜」

 

 

 

 

さようなら、毒なる親。

私の闘争(逃走)が始まるのでした。

①毒親認定(学生編)

初めまして。菊です。

毒親から絶賛逃走中、逃げたてです。

 

ここまでに至る経緯や逃げ方などを、参考になった資料、ブログ、知恵袋リンクを交えて書き綴っていきます。同じく毒親に苦しんでいる方の、灯火なれば幸いです。

 

さて、私の場合、両親が毒親と気付くまでにとても時間がかかりました。

 

というのも特に母方の祖母や叔母たちもなかなかの毒で、自分の母親がまともに見えてしまったからなんですよね。うちの場合、身体的・精神的な暴力はありませんでしたが、母親から仕事の愚痴や親戚の悪口などを延々と聞かされ、お前はこうなってはいけないという刷り込みが結構ありました。これがのちのち効いてきます。

 

さて、高校を卒業し、私は大学に通うことになりました。初めての一人暮らし。とはいえ私の実家は低所得だったので仕送りはなく、学費と生活費は奨学金と行政からお金を借りて賄うことになりました。そんな状況でも楽しく大学に通って勉強していましたが、親からこんなメールが届くようになりました。

 

「お金貨してほしいんだけどいいかい」

 

これが全ての始まりです。貸してほしい理由はたくさんありすぎなのでここには書きませんが、メールの最後にはいつも「迷惑はかけないから」と書いてありました。

 

しかしながら、まだ親を「親」と信頼していた私はバンバン貸した訳です。そしてそれは学年が上になるほど金額も増えていきました。バイトを始めて、収入を得始めたことも要因になったと思います。

 

在学中、月4万円の家賃を親が払っていたのですが、4年生あたりになると親が払えなくなり、ほぼ私が払っていました。でも月6万円の生活費+バイト代3万円で暮らしていた私にはあまりにもきつい。なので安い家に引っ越したいと相談したのですが許しは得られませんでした。なんでかは分かりません。訳のわからないことをガーガー言われた気がします。

 

それに加えてとにかく「高収入で安定した企業に勤めてほしい」という刷り込みも、どんどん激しくなりました。私はそんな見えない矢傷にも気付かず、あらゆる大手企業にアタックしましたが受からず。あの時もっと自分らしさを持っていたら、それを発揮していたら、きっと就職もうまくいったはずなんですが。

 

さて、社会人編に続きます。